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東京地方裁判所 平成3年(ワ)16092号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  請求原因について

一  事故の発生

平成二年一二月一八日、本件事故現場の階段で被告が転落し、原告に衝突したことは当事者間に争いがない。

《証拠略》によれば、原告は、当日井の頭線渋谷駅で下車し、本件事故現場の階段を下り始め、数段下りたところ、突然上方から、被告が頭を下にして転落して来て、よける間もなく、被告の両足で原告の両足をすくわれる形となり、そのまま一緒に階段下踊り場様のところまで転落し、その結果、原告は主張のような傷害を受けたことが認められる。

二  被告の不法行為責任及び心神喪失

1  被告が階段を踏み外して転落し、原告に衝突したことは当事者間に争いがない。

原告は、被告が漫然歩行した過失により階段を踏み外したと主張し、被告はてんかんの発作により転落したと主張(抗弁)する。そこで、まず転落の原因について判断する。

2  被告がてんかんの持病を有することは当事者間に争いがなく、《証拠略》によれば、被告は昭和五三年頃食欲不振、めまいといつた症状があり、受診の結果てんかん(側頭葉てんかん)と診断され、その後、一、二年位投薬治療を受けた結果症状が改善されたが、昭和六三年頃から、意識が瞬間的に途切れるなどの症状が出始めたため、再び投薬治療を受けるようになつたこと、てんかんの程度は概ね中程度であり、発作は日中に多く、数秒から一、二分の意識が中断し、その際には、会話中に突然黙つたり、買物の途中にいきなりしゃがんでしまうとか、意味不明のことを口走つたりするといつた症状が現れ、平成元年五月頃からこのような症状が目立つていたことが認められる。

3  《証拠略》によれば、被告は、事故当日、難病で東京の国立小児病院に入院している長女(七才)に面会するため、日野市の姉宅から電車を乗り継いで渋谷駅で下車し、病院行きのバスに乗るべく本件事故現場の階段付近にさしかかつたところで、意識がなくなり、階段で転落したことや原告と衝突したことについては一切記憶がないことが認められる。

4  《証拠略》によれば、本件事故後、被告は、転落地点より階段を上がり、洋服のよごれを払つていたり、駅員に指示されて原告とともに駅舎に赴き、そこで、駅員に身分を示すものの呈示を求められて保険証を出したり、原告や駅員と質問応答あるいは原告に謝罪するなどし、さらには、駅員が救急車を呼び、原告とともに乗車して本木病院に赴いた際、原告の治療費の支払等について本木医師と話をするなど、一見すると、正常人と変らないような行動をとつていることが認められる。

しかしながら、他方《証拠略》によれば、被告は事故直後は無表情な顔をしていて質問をしても何をいつているのか分からなかつたことあるいは他の者に指示されるまでは、かくべつ悪びれもせずその場を立ち去ろうというような様子が見えたことなどの事実が認められ、これらの事実は、本件事故を起こした直後の正常な人間の態度としては理解し難いものがあるといわなければならない。

また、乙九の記載、被告本人の供述するところによれば、駅員の言われるまま保険証をだした記憶があるが、このころから意識がもどり始め、救急車を待つている頃から概ね正気になり、その後は記憶しているということであり、右供述記載と前記認定の事実とは必ずしも矛盾せず、また、《証拠略》によれば、被告は、被告の住所、姉の住所を駅舎で駅員に求められるまま記載していることが認められるが、この記載は誤つているか一部の記載しかなく、これは、このメモを記載した時点では、被告の意識が正常でなかつたことを裏付けるものと判断され、右乙九の記載、被告本人の供述が信用の置けるものであることを示すものと考えられる。

5  以上総合すれば、被告が本件事故現場の階段を踏み外し転落したことは、被告のてんかんの発作によるものと認めるのが相当である。したがつて、被告の心神喪失の抗弁は理由があり、過失により踏み外したとの原告の主張を認めることはできない。

三  てんかんの発作を前提とする不法行為責任

原告は、被告の転落がてんかんの発作によるものとしても、被告は付添人を同行する等の義務があるところ、これを怠り単独歩行していたのであるから、本件事故の発生について過失があると主張する。

しかしながら、被告のてんかんの程度は中程度であり、常に発作が起るものではないから、たとえ駅のごとき多数の人が往来するところであつても、一般的に付添人を同行すべき注意義務が被告にあるとは認められず、これを前提とする原告の主張は理由がない。

第二  結論

以上のとおり、被告に過失があることを前提とする原告の本訴請求は、その余の判断をするまでもなく理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小田泰機)

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